今日コーヒーを飲みましたか?
私は毎日のようにん飲んでいますが、そういえばコーヒーの成り立ちなど歴史はよく知りませんでした。もともと野生の木だったというコーヒーに、どうして人々は気づき、生活に浸透させていったのでしょうか。
今回は、コーヒーの歴史を起源から現在に至るまでをお話しさせてください。
コーヒーの起源
コーヒーは身近な飲み物であり、毎日約20億杯が世界で飲まれているそうです。
コーヒーの原料はコーヒーの木という植物の実であり、この中にある種子を焙煎し粉末にしたものが飲料の元となります。
コーヒーの木の原産地はエチオピアであり、人類が誕生する前から自生していたとされます。エチオピア人によってコーヒーは気分を高揚させる効果があると知られ世界へ広がりました。
エチオピアに伝わるコーヒーの逸話
そんなコーヒーの原産国であるエチオピアにはコーヒーが広まった要因となったとされるお話があります。
“アラビア人の「カルディ」という山羊飼いはエチオピアの草原で放牧生活をしていました。ある日、気がつくと、自分の山羊が楽しそうに飛んだり跳ねたりしいたのです。どうしてか調べてみると、山羊たちは近くの木になった真っ赤な実を食べていたのです。そこで自分も食べてみると、とても爽快な気分になります。眠気がとれ爽やかな気分に。それ以来みんなすっかり魅せられ、魔法の豆として、密かに愛用されるようになったそう。”
コーヒーの生い立ちについては諸説ありますが、この話に出てくるカルディという山羊飼いから、日本で人気のカルディコーヒーファームは名付けられたそうですよ。
原産国エチオピアからアラブへ
エチオピアは6世紀にイエメンを侵略しており、その時アラブに伝わったと考えられています。最初はイスラム教の僧侶の抑え祈りに集中するための妙薬として広まったようです。また、アラビアの都バグダットでは痛みが和らぐとして当時は薬としてもとても珍重されていたそうです。
15世紀末にはイスラム圏全域へ広がります。
ヨーロッパ、インドへ。コーヒー農業が盛んに
17世紀に入るとコーヒーの文化は貿易を通じてヨーロッパへ。1640年にはオランダの商人によって商業用のコーヒー豆が初めてヨーロッパに輸入されアムステルダムで売りに
各地にカフェが次々にでき市場を広げました。
アラブにおいて厳重に管理されていたコーヒーでしたが、メッカを巡礼したイスラム教徒によってイエメンからインドのマイソールへ持ち込まれます。
インドで栽培されたコーヒー豆の木はオランダ人によってジャワ島へ移植され、スマトラ島やセレヴェス島によって東インド諸島においても栽培が始まりました。
その後ヨーロッパを経由し、1723年にはフランスの植民地であるマルティニーク島へ移り、配置で生産されたコーヒー豆はヨーロッパの消費を支えました。
これらの栽培に適した地域はコーヒーベルトと呼ばれます。
世界有数のコーヒー消費国アメリカ
1727年にはのちに世界最大の生産国となるブラジルに渡ります。
この際フランス相公の婦人がブラジルの施設に恋をし栽培用のコーヒーの木を譲った言われています。
肥沃な大地が広がっていているブラジル。ここで生産されたコーヒー豆は世界有数の消費国となる国に輸出されます。それがアメリカです。
この時代アメリカではコーヒーの消費を促す出来事が起こりました。まずはイギリスとの関係です。1773年のボストン茶会事件でイギリスの紅茶が廃棄されたようにイギリスからの独立を目指していたアメリカは紅茶ではなくコーヒーを飲むことが愛国の現れとされ、コーヒーの消費を増やしました。
戦時中から現代。コーヒー産業について
1861年に始まった南北戦争では、戦士のコーヒーの習慣、また労働者の間でコーヒーが広がりました。
コーヒーは嗜好品として戦争や経済の拡大を支えました。
19世紀末には、アメリカは世界中のコーヒーの半分近くを消費するようになりました。
コーヒーは世界中に広がりましたが、問題もあります。
問題とは、それは供給量と価格のバランスです。
コーヒーの木は、病気や天候の変化に弱く不作が続くと価格が上昇し消費者を困らせますが、方策が続くと価格の低下が止まらず生産者が困ります。
19世紀末からコーヒー市場は供給過剰に陥りました。
このためブラジルなどのブラジルは国内に在庫を持つことでコーヒーの供給を制限し価格を高値で維持するようになりました。
コーヒー産業は拡大を続けていましたが、1929年の世界恐慌によってこの好景気は終了。コーヒーの価格は下落。大量の在庫と広大な農園が残りました。
在庫は処理され、世界の全消費量の2年分に当たるコーヒー豆が処分されました。
その頃、主要な品種はアラビカ種でしたが、天候の変化や病気に強いロブスタ種が生産量を伸ばしました。
ロブスタ種は苦味が強く味や風味においてアラビカ種に劣るものの身をつけるのが早くアフリカやインドネシアなどで大量に生産されました。
近年がベトナムでの生産が増えています。
供給量と価格の安定のため1963年に国際コーヒー協定が発行されました。
ここで採用されたのが、割り当て性という制度です。消費国と生産国で貿易を行う約束をする代わりに生産国には年間の輸出量を割り当てることで価格を維持するという仕組み。しかしこの割り当て性は価格の安定性が生まれるものの貿易の自由を奪うことになりました。
協定を結んだアメリカなどの消費国は、需要が増えても供給を増やせないし、生産国はたくさんコーヒーができても割り当てられません。そうすると積み上がった在庫は協定を結んでない国に安価で輸出される事態に。
全ての国が満足する割り当て量を決めることはできませんでした。
現在のコーヒー産業は不安定な市場価格の上に成り立っています。
コーヒーの飲み方の移り変わり
コーヒーの魅力はカフェインによる高揚加え、酸味や苦味香りなどにあり、これらを抽出するためにさまざまな方法が用いられました。
当初は引いた粉末を直接お湯に入れていましたが、19世紀前半位はドリップ式が生まれ、より洗練された飲み方が生まれました。
また地中海付近では濃いコーヒーが好まれました。
1901年にはエスプレッソマシーンが生まれ、第二次世界大戦後にはインスタントコーヒーが広く飲まれるように。エスプレッソやインスタントコーヒーにはロブスタ種が多く使われたそうです。
インスタントコーヒーが普及する頃1980年代には高品質なコーヒーが求められるようになっていきました。
グラテマラやコロンビア、コスタリカなどで丁寧に生産加工されたアラビカ種の需要が高まりました。
近年はコーヒーチェーンの台頭もあり高品質なコーヒーはより身近になりました。
1971年に誕生したシアトル発のスターバックスは、コーヒーにミルクを入れたカフェラテやカプチーノを広めました。1996年には日本にも進出。そして世界中に拡大を続け新しいコーヒーの飲み方も広がっています。
まとめ
さまざまな形で親しまれているコーヒーですが、歴史を知るとさらに奥深さを知り面白いですね。
産地の味や香りにこだわりのある方も多いかと思いますが、歴史も踏まえて味わってみると感じ方が変わってくるかもしれませんね。